“ママさんフェンサー”佐藤希望は3回戦で敗退…2人の息子にメダルを届けられず(スポーツ報知)

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出典元:スポーツ報知

◆東京五輪 フェンシング女子エペ個人戦 (24日、千葉・幕張メッセ)

 “ママさんフェンサー”佐藤が3度目の五輪で初のメダルには届かなかった。3回戦でジュリア・ベラハエバ(エストニア)に10―15で敗退、準々決勝に進めなかった。序盤に先制ポイントを奪い、シーソーゲームで進んだ。第2ピリオドを終えた時点で2点ビハインドだったが、第3ピリオドで一時、8―9の1点差に迫った。だが、最後は連続ポイントで突き放された。無観客で会場には入れなかったが、自宅で配信を見る2人の息子に向け「ママが戦って勝つ姿を見せたい」と話していただけに、試合後は口をつぐんで悔しそうな表情を浮かべた。

 佐藤は12年の初出場となったロンドン五輪後の13年に結婚。同年7月に長男・匠さん(8)を出産し、16年リオ五輪出場。17年6月には次男・旬さん(4)を出産し、18年に再復帰。2度の出産を経て、3大会連続で五輪の舞台に立った。大会前には「働くママたちに少しでもパワーを与えられたらな、と思います」と語っていた。

 第2子を出産後、18年に再復帰。その際は「もう一般人だった。アスリートの筋肉は全くなかった」といい、午前中にフェンシング、午後はウェートトレ、持久力系のトレーニングに加え、再び剣を握った練習。3度目の五輪を目指し、みっちり鍛え直してきた。コロナ禍で約1年ぶりに実施された国際大会、W杯ロシア・カザン大会(67位)では「海外の選手は改めてパワーが強い」と実感し、さらにウェートトレの量を増やした。

 今大会で日本女子ではフルーレの菅原智恵子に並ぶ3大会連続出場。第2子を出産後、競技復帰を目指した理由は、これまで2大会で団体戦での出場がなく「団体戦出場」が一つの目標だった。ただ、同種目は開催国枠にあてられず、3大会連続で目標は絶たれた。それでも日本勢唯一出場したベテランは「後輩たちに次の五輪へのバトンパスができたら」と次世代への思いを持って大舞台に挑んでいた。

 新型コロナウイルス感染拡大の影響で無観客開催となった。自宅がある福井から息子が応援に来てくれる予定だったが、かなわなかった。それでも「子供たちの感染のリスクもあった。私もその心配をしなくて良くなったので、逆に試合に集中して戦える」と前向きに捉えた。長男は昨年からママの背中を見てフェンシングを始めた。3大会連続で目標だった「メダル」には届かなかったが、戦うママのカッコイイ姿は、映像を通して息子の目に焼き付いたはずだ。

 <佐藤 希望>(さとう・のぞみ)1986年7月3日、福井・越前市生まれ。35歳。武生商高1年で競技を始め、フルーレとエペを両立。日体大3年でエペに専念。12年ロンドン五輪個人26位。13年2月に結婚、同7月に第1子となる長男・匠さんを出産。14年に競技復帰し、16年リオ五輪個人8強。17年6月に次男・旬さんを出産し、18年に再復帰。家族は夫・充さん(45)と2男。173センチ。

▽女子エペ個人2回戦

佐藤 15―14 カン・ヨンミ(韓国)

 ▽同3回戦

佐藤 10―15 ベラハエバ(エストニア)

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