第1回W杯監督の宮地克実さん「スクラム組んだ瞬間もうアカン」敗因FW戦が今や強みに(スポーツ報知)

出典元:第1回ラグビーW杯で日本代表を率いた宮地克実さん

◆ラグビーW杯 ▽1次リーグA組 日本28―21スコットランド(13日・横浜国際総合競技場)

 ラグビー日本代表の快挙に、1987年に行われた第1回W杯の指揮官・宮地克実元監督(78)は「素晴らしかった。最後まで安心して見られたよ」と日本の成長に興奮を隠せなかった。

 第1回W杯から32年を経てたどり着いた快挙。自宅でテレビ観戦していた宮地さんは「あのスコットランドに4トライって…もうスゴイわ。FWもBKも歩いているヤツ、一人もおらんかった」と一丸の勝利であることを強調した。「15年W杯で南アフリカに勝った時はビックリしたけど、今回は純粋に強い」と感嘆。「次はまた南ア…。大会直前のテストマッチを観戦したけどコテンパン(7―41)だった。今は勢いがある。期待感はある」と、さらなる躍進を確信していた。

 宮地さんが監督として挑んだ第1回大会は3戦全敗。当時に比べて最も進化したのはFWだと話す。「例えばあの時の2戦目のイングランド戦。スクラム組んだ瞬間から、もうアカンと思った」。7―60で敗れ、世界との差を痛感した。「FW戦が敗因だったW杯の歴史を思うと、信じられないね」

 当時は現在と環境が違った。監督に指名されたのは、W杯の年になってから。日本も世界もアマチュアリズムの時代だった。「ファンもすごいね。台風で開催が危ぶまれていたのに超満員。ずっと人気低迷に悩まされてきた日本ラグビーにとって、これも快挙なんですよ」。代表もファンも、87年とは全く違う。様変わりしたラグビー界に明るい未来を感じていた。(樋口 智城)

 ◆宮地 克実(みやじ・かつみ)1941年3月10日、大阪府生まれ。78歳。同大から64年に東京三洋(後の三洋電機、現パナソニック)に入社。プロップとして活躍し、日本代表キャップ1。78年に就任して以降、84、87年と3度日本代表監督に就任。第1回W杯後は三洋電機の監督に就任、全国社会人選手権決勝で神戸製鋼に3度挑んで3度とも敗れ「悲劇の闘将」と呼ばれた。

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